院長 染谷 康宏
医学博士
東京医科歯科大学医学部医学科卒
精神保健指定医
精神神経学会認定専門医 同指導医
介護支援専門員(ケアマネージャー)
平成3年東京医科歯科大学医学部医学科卒、同年東京医科歯科大学精神神経科教室入局
同付属病院神経精神科にて勤務の後、静和会浅井病院勤務。社会復帰部長就任。精神科患者の社会復帰活動に従事。また科学技術庁放射線医学総合研究所にて精神疾患の生物学的病因研究にあたる。
東京都職員共済組合青山病院神経科勤務を経て、平成13年4月染谷メンタルクリニック開院。
平成5年より両氏の永眠により終了するまで、カレンホーナイの高弟、故近藤章久先生(近藤クリニック院長)の教育分析と故玉城康四郎先生(東京大学名誉教授)の御指導を受け今に至る。
私には二人の師がいます。
ひとりは近藤章久先生。そして、玉城康四郎先生。
近藤先生は、カレンホーナイの高弟であり精神科医。最も尊敬する人。
玉城先生は、東京大学名誉教授にして禅の師。
お二人が平成11年冬、相次いで鬼籍に入られました。
お二人の遺志を少しでも引き継ぎたいと思っています。
そして、それこそ私が都立病院を離れ、
自分のクリニックを持とうと思った
大きな理由です。
お二人に心からの感謝と尊敬を捧げます。
「こころ」という深淵な世界を扱う医療において臨床経験はとても大切だと実感しています。
当院の2名の医師は30年以上精神科医として研鑽してきました。
精神分析療法、認知行動療法、最新の薬物療法など、エビデンス(医学的根拠)を持つ、最先端の医療を当院では提供しています。
染谷は、医学部卒業後、心の病を科学で少しでも改善できないものかと科学技術庁の放射線医学総合研究所の門をたたきました。
脳科学、向精神病薬の脳に及ぼす影響、てんかんの発作焦点の画像解析などを研究しました。
医学博士まで取得しましたが、脳科学と呼ばれるものへの限界、ある種の絶望の果てに、
近藤章久先生の精神分析と出会い、
玉城康四郎先生の深い精神世界と巡り合いました。
松野は、大学での臨床研修の後、精神病院での臨床、特に精神科リハビリテーション、うつ病の社会復帰、認知症治療、多職種によるチーム医療に取り組み、成果を上げてきました。
共に信用し合う友人であり信頼できる医療人でもあります。個性も専門性も違う二人だからこそ提供できる精神医療があります。
「求めれば人は変わっていける、成長していける。善なる方向に進んでいける。」
そのお手伝いを私たちにさせていただきたいと思っています。
医師 松野 泰彦
山口大学医学部医学科卒
精神保健指定医
精神神経学会認定専門医 同指導医
平成3年山口大学医学部医学科卒業 同年東京医科歯科大学精神神経科教室入局
大学卒業後社会人を経て精神科医となり、いつの間にかかなりの年月が経ちました。染谷メンタルクリニックでは2011年以来土曜日の外来診療を担当させていただいていました。これまで、平日は都内の精神科病院で勤務し、豊富な人材に恵まれチーム医療に励んできました。その一方で、日頃から少人数のスタッフで地域の医療に貢献する院長の姿も目にしてきました。
この度お誘いをいただき、週4日外来診療を担当するようになりました。今後は北区を中心とした地域の皆様のお役に立ちたいと考えております。皆様、何卒宜しくお願いします。
病院勤めをやめて平日もクリニックに来るようになって、殆ど30年ぶりに混雑する電車に乗るようになりました。はじめに思ったのは、通勤する人々の表情の違いです。
30年前の都市圏では通勤している人々は随分不機嫌そうな表情で電車に揺られているなという印象をもったものでした。それは、地方の電車の中とは明らかに違っていました。その事は、当時コラムに書かせていただきました。
しかし、今電車に揺られている人々は、30年前ほど不機嫌な表情をしてはいません。それは、新型コロナウィルスの蔓延で、リモートワークが増えたことが関係しているのは確かでしょうが、それだけではない気もします。社会全体が複雑化しストレスも多様化しているのも確かなはずですから。
このような、現代の消化できない複雑なストレスを解消するには、普段の環境から物理的に離れた場所で過ごすことが大切です。旅行に行くにも気をつかう時期ですが、普段の生活の場周辺では色々な工夫をしても日常のストレスを忘れるのはかなり困難です。
贅沢な旅は必要ありません。日常を忘れるには、敢えて物理的に距離のあるところに行ってみて下さい。できれば、普段の生活の場より人口密度が低い処に。ただし、仕事のメールは開かないようにしましょう。
私は、これをショート転地療養と呼んでいます。よかったら、お試し下さい。
つい先日、以前勤務していた病院の職員からペーパーツリーが送られてきました。何故かツリーには幾つもの相撲の決まり手のイラストが描かれています。あれっ、浴びせ倒しが入ってないなあなどと余計な事を考えているうちに、病院での仕事の事を思い出しました。
病院での仕事は、全くのチーム医療でした。入院して来た方を多職種の職員が関わって良くするためにチームで取り組むのです。これは、本当にやりがいのある仕事で、日々充実感を感じていました。
しかし、複数の人間が一緒になって仕事をする中では色々な事が起こります。人間は素晴らしい事をたくさん成し遂げる一方で、考えられないようなこともやらかします。これも脳が発達しすぎたゆえんでしょう。
ですから、職場では大変な人間関係のストレスを抱えることも珍しくはありません。そんな時は、第三者に聴いてもらったり、時には会社でのやり取りを振り返ってあの場面ではどのように対応すれば良かったかを検討し、次に活かすことがあってもいいかもしれません。
人間の脳は複雑過ぎて完全な脳を持っている人はひとりもいません。みな、どこかに欠けているものがあります。本当は、昔気質の職人のように1人で仕事をする方が向いている人もいると思います。
様々な個性を持った人間が一緒に働くと、とんでもない事が身に降りかかる事があります。
生きるのが辛くなる時、そんな時は貴方の話に耳を傾けてくれるカウンセラーや医師がいます。
どうぞお気軽にご相談下さい。
今日の話は、何十年も前の話からはじまります。私が小学校1年生の時の話です。
クラスにA君という男の子がいました。ほっぺが赤い男の子だったことを今でも覚えています。私が小学校に入ってはじめてできた友達であり、一番仲の良いクラスメートでした。
いつもは仲良しの二人でしたが、何回かケンカになることがありました。それは、決まって図工の時間でした。私が子供ながら集中してクレヨンで絵を描いていると、2〜3席後ろの席からA君が立ってきて、クレヨン忘れたから貸してと言ってくるのです。赤貸しての次は白貸して、次はという感じで結局クレヨンは一本も持ってきていないのです。最初は、貸しているのですが、最後はケンカになるのです。
長い年月で記憶はかなり加工されているかもしれませんし、そうであれば返って喜ばしいのですが、私の記憶ではA君は一度もクレヨンを持ってきた事がなかった気がします。ただの忘れ物が多い子供だったわけではないというのが自分が大人になってからの記憶です。
A君は、おばあさんと二人で暮らしており、お母さんは離れた場所で暮らしていると聞いていました。その間の詳しい事情は知りませんでしたし、小学生には考えも及びませんでした。
まもなく、A君の姿はクラスから消えました。その後で、A君は転校しましたとだけ先生から聞きました。A君がいなくなったことはショックでしたが、私も学校に慣れて新しい友達と遊ぶようになっていきました。
A君のことをよく思い出すようになったのは、大人になってからのことです。A君は、どんな境遇で育っていたのかなあ。今頃幸せに暮らしているかなあなどと。せっかく自分のところに来てくれたのに、クレヨンくらい気持ちよく貸してあげればよかったなあと。
もちろん、A君が苦労の多い境遇で育っていたのではないかというのは、全くの想像でしかありません。ただ、精神科医という職業についてたくさんの方のお話をうかがっていると、育った環境からの呪縛から脱し切れていないため苦しんでいる方も大勢いらっしゃることを知るのです。
そういった方々こそ、自分にしかないオリジナルな人生を歩んでいただきたいものです。時間はかかるかもしれませんが。
I’m OKと自分の存在を肯定できるようになっていただきたいと切に願う次第です。
フォルクスワーゲンというドイツの自動車会社はご存知の方も多いかも知れません。この会社のロゴのついた車が街を走っているのを見かけることも珍しくはありませんから。そうです、◯の中にVとWが縦に連なっているデザインてす。
ある時古い友人と車に乗っていてドイツ車の話になった時、ロゴのデザインに話が及びました。友人も車は日常的に運転します。ところが、彼はフォルクスワーゲンのロゴをWWだと言い張るのです。
私が、Volkswagen(Volksは国民とか民族という意味でWagenは車という意味)だからVWに決まっている、VとWが縦に連なっていると言うのですが、友人は鼻で笑うのです。
人の思い込みというものは、なかなか手強いものです。理屈で説明しても通じないのですから。
しかし、よく考えてみると私達も日常かなりの思い込みがあるのではないでしょうか。向こうで楽しく笑っている二人組と目が合うと自分の悪口を言ってるんじゃないかと思ってしまうのです。それが人というものです。
他人のちょっとした仕草で、自分は嫌われているんだと思い込む。私は、必要とされてないんだ。そうなったら、きりがありません。人が、落ちていくのはよく見ると大抵自滅です。
そんな人間を包んでくれるのが思いやりかもしれません。どん底に落ちても救いあげてくれるのもまた人の思いやりというものです。周りに、相談する人がいない時は、クリニックに相談に来てみるという手もあります。自分自身の思い込みが自分を縛っていた事に気がつくかも知れません。どうぞお気軽にお声掛けください。
後日、友人からは(VWだったよ。驚いた。何十年も俺何見てたんだろう)と連絡がはいりました。