よっしゃおじさん

むかしむかしあるところに、「よっしゃおじさん」は住んでいた。
よれよれのトレンチコ-トにハンチング帽、子供心にも妙な格好だった。
おじさん(どう見てもおじいさんだったが)は、喋らない。軽く片手を上げて「よっしゃ」と微笑むだけ。いつしかそれは近所の子供たちの流行になった。おじさんに会うのはいつも夕方。仕事帰りだったのだろう、疲れていた。なのに、見かけると笑顔で「よっしゃ」。目が澄んでいた。


悪ガキ達はしつこい。しかもするどいから、大抵の大人はぼろが出た。
でも、彼は違っていた。皆でいくら囃しても、会うと本当に嬉しそうに「よっしゃ」。悲しいとき、落ち込んでいるときは、遠くから優しい目で「よっしゃ」。何も言わないから、その優しさが余計に身に沁みた。
おじさんを見かけなくなった梅雨のある日、おじさんの家をはじめて訪ねてみた。路地の奥のさらに奥にあるじめじめしたアパートの2階。日のあたらない狭い部屋だった。近づくと引き戸が開いており、おじさんは上半身裸で背中をこちらに向けてうなだれていた。
すっかり痩せて精気のない皺だらけの背中。そこには色褪せた龍虎がいた。


僕の気配に気がつくと「来たのか」と言いながらおじさんは振りむいた。はじめて「よっしゃ」以外の言葉を聞いたのとあまりにも貧しく寂しい暮らし、それには背中の彫り物が不似合いに思えて立ちすくんだ。
おじさんは、すぐに浴衣をはおりながら「家の人は心配していないのか」と聞いた。「大丈夫」と答えるのが精一杯だった。どの位そこに居たのだろうか、何も話さないで僕は帰った。
帰りがける僕を見送るおじさんの目はうるんでいた。


それ以来、おじさんには会っていない。
年をとるたびに、おじさんの悲しみ、優しさの理由(わけ)がよくわかる。またおじさんに会いたいな。
梅雨の時期になるといつも浮かぶ大切な想い出。